やっとここまでこれた。

うれしいなあ。
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# by qchan1531 | 2017-02-18 11:29 | Comments(0)

あけましておめでとうございます -そして2016年ふりかえり-

皆様 あけましておめでとうございます。
昨年もBLOGの更新はほとんどできず、年を越してしまいました。
自分へのふりかえりもこめて2016年の撮影作品から少しまとめてみました。

1.1月早々に成田に行った時の作品です。黒バックに黒。この作品はのちに大阪で開催されたグループ展に
出展しました。とても思い出深い一枚となりました。
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2.2月のジャンボ二態。 成田のDL降りと羽田のLH上がり。どちらも夕方ならではのコントラストの高いところを。
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3. 貴重な3月の成田南上がり。そこへF1アブダビGPのスキーム。結局止められたのはこの時だけ。
だけどそれは私だけが味わえたもの。この時液晶を確認した自分の焦りは忘れないものになるとおもいます。
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Star Wars BB-8も3月にやってきました。
こちらはまだ飛んでいるところの面白いカットは撮れていません。。
まだこれから。。と思っているうちはダメ。
絶対結果は出せないですね。私みたいな輩には。
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のちに今年のキーとなったCXことキャセイパシフィックのジャンボ。
たくさんシャッターを切った分、本当に悩み苦しみました。でももう来ない。そこに立っていた証。
憧れとIF。
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羽田城南島の先トンネルを出たところの道が南に曲がれるようになりました。
ただただ旋回が見たい。その気持ちだけでとにかく通い詰めました。 
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4. 4月は息子とセントレアへ。とにかく難しかった。経験せよなのですよね。
特に上がりは惨敗の印象。まだまだです。
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友人と並んで撮影した城南島。この一枚はA-Pnetにアップしましたが
のちにスクリーナ―削除となりました。この時の悔しさやら、自分の力のなさを痛感したこと。
それはその後昨年のあいだずっと心の奥深くに刻まれました。
今見直せば、これは基準には満たないかもしれませんね。
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5. 4/20以降のExifにはD5の文字があります。この日から大きな機材の変化がありました。
狂うようにシャッターを押したというのが正しい表現かも知れません。しかし、それは簡単なものではなかった。良い機材で撮影可能性が広がるということは、結局また新しい越えるべき壁を作ることになるのです。
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これを境にして、私の写真は夜では格段にコントラストが高くなり、
テレコン使用を含むピントの精度が劇的に向上していきました。 
まさに明るい夜がそこに浮かび上がってきた印象でした。
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850mm画角にする1.7xテレコンが普通の描写に見えてくるほどの違い。
それはその後の編集の技量。特に色みを整えるところで重い試練となりました。
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今までの環境が別物のように見えてくる。
見えるということはそれだけ細部の技量までもさらけ出す結果となってしまいました。
この辺りから編集にかかる回数や時間が倍々になっていき、1枚に3-4時間、
夜中にかかることが普通になりました。 
どうやっても自分のものにしたい。ここまでやってきた執念めいたものがありました。
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6.個展を行った2013年以降、
毎年だいたいは連休前後で自分の狙いを定めて絞りこみをしていきますが、
昨年も結果そうなってきました。テーマはポートレイト。
飛行機の顔。それとあの悔しさ。そしてジャンボ。
向かうところは原点に戻って行きました。
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この写真のExif‘には6/3 21:53とあります。
キャセイのジャンボ年内退役のニュースは3月ごろに出てきていました。
その後7月ごろに秋ごろとなり、のちに10月退役が決まりました。
自分の中でこれで行けるか!という撮影はしたものの、
500mmの内容ではやはりノイズの成分が多く、いったんは現像を追いこめないまま、
しばらく時間をおくことになりました。
この一枚が、12月のJAAP日本航空写真家協会の出展作として、その準備にあたる苦しい現像作業と、
プリント仕上げの世界にさらされることになっていくのです。

7月以降は後半で。
皆様どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
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# by qchan1531 | 2017-01-04 19:13 | Comments(0)

写真はバランスゲーム

ことあるごとに自分に軸、軸、軸 ということを言い聞かせている気がします。
写真の中で、前後ろ、左右、そして上下。
それは単に構図の話だけでなくて、時間のこと、露出のこと、そして仕上げやWebでの見せ方、プリント。。
写真で伝えることの全部です。
なぜ単なる写真ごときにそんな風に忙しくするのか。ただ楽しくシャッターをきればいいんじゃあないか?私のその答えは、“そうやっていろいろ考えた方が、考えないよりは楽しい写真が写せるから”なのです。

構図のことで鉄道写真のプロ広田尚敬さんは、“どうして構図が正確なのでしょうか?”と問われ、“自分と被写体の間に二本線を引いて、その中に常に被写体を置くことだ”とおっしゃいました。
私、最初なんのことかわからなかった。で考えてみた。メガホンのお化けみたいなものを自分の前においてそのなかに常に被写体を置いておけば求める構図が正確になっていくということじゃあないかと。
そこに画角や自分の動きをいれて間合いを取っていきながらさまざまな作品像をイメージするってこと。かな?と考えてみた。正しいかどうかわかりませんが、自分はそれで納得しました。

暗い夜の中にも軸はあります。それは簡単なことで、普段自分が通っている場所と時間こそがその軸なのです。
そこに季節という時間の流れがあって、飛行機写真ならば、滑走路を中心に見立てて風がある方向に流れていき、時に月が下から上っていき沈んでいく。
そこに露出や感度のダイヤルのバランスを当てる。いつもの場所と時間を中心軸にして。

動き写真の軸はどうなのか。それはその人の決め一つ。
私は1/30秒という時間であり、ISO3200という魔法の数字なのです。
その大きなバランスの枠のなかで被写体を大きくも小さくもみせていく。それが軸になります。さっきの広田さんのはなしともつながったりしてね。

色はどうなのか。絶対的な白があり、自分の赤や青があります。
“色”は私の写真のなかで一番思慮が足りていないことですが、(それでいいのか?はおいておく)それを花や自然、建物や人の表情、スーパーにならぶ肉や魚や果物に追い求めていたりします。
私にはまず、自分の好きな色が軸です。絶対的な色が正しい軸だとおもいますが、私は自分の色を軸にします。
とはいえ、それが大きくはずれていると見せ方がかわり、一人よがりになってしまう。そこは自分との葛藤があります。面白いことに友人と酒を飲み、その話のトーンやつまみの味の世界からふと引き戻されたりするし、
写真展でほかの方の作品を見たときの印象も軸の位置の参考になります。

それをひたすらに考え、一度経験したことをポケットにしまって整理しながら、
初見や自分のやったことないことに面した時に、できるだけ早く軸を作り上げてみて、
その作品を狙うイメージにするのです。
だから軸は変化していきます。昨日までの軸はもうないかもしれないし、それは3次元とかそういうものでもありません。
そうやって自分の考えを記録していくのが私にとっての写真、そのものなのです。

考えの記録。自分がそこで考えたことが一枚の写真のなかに汗と一緒に詰まっていて、人からあなたは誰ですが?と言われたときにそれがふわっと広がる。写真展の一枚の写真はまさにその結晶であります。

Facebookで過去のこの日という機能があります。いいかげんにしろよというくらい、
私はそれを頻繁に使っていますが、それは考えやその時の軸を意識するからにほかならないことです。
写真がうまいとか下手だとかコントラストがきついなあということよりも、“俺は何を考えていたんだっけ?”という記録をひも解いているような行動です。
面白いことに変わらないものは変わらないし、一つのイベントで大きく軸がシフトしたのがわかったりします。
大事なことは自分がそれを見たときに軸があるかということで、なければないで、それを認めればよいだけです。その迷いがちゃんと写真に写っていれば、それは自分にとってのよい写真です。

では、“自分の考える自分のよい写真は、見る方にとって良い写真か?”といえば、“これはね自分の迷いがちゃんと写っているんです!”てのを
いうわけではないし、“だからすごいでしょ!”ていう風にも私は思わないので、そこにはまた考えるってことが起きてきます。 
たとえば作品展がありますってときに、どうやってその出展作を決めていくのかってこと。
私は、考える時間が許されるのであれば、“その時の自分が一番あらわされている写真”を選びたい、残したいと思っています。

たとえば、去年初めて経験したことが花開いたなあ?それでこの一枚を狙って撮れた、とか。
次はこんな思いで撮り続けてみようかなあ?それでここまで自分を追いつめて新しい自分ができたなあ。。。とかですが、
多くの作品を撮るなかで実際に“決めること”は難しく、考えた結果も空振りすることのほうがはるかに多いですし、そもそも“撮れた”(この場合はプリントまで)と心底納得できないことが99%だったりするのです。

では最後はどうするんだ? というと自分自身をそこで変にブラさないということ。かっちょよくいうと信念めいたもの。だから、苦手でも少しばかりの自分へのはったり(足りなさを補う)とか、大事な軸は軸としてあえてここは別にとっておく、というような少し遠くに自分を置くってのも、学びだと思っています。 
要はそれまでの軸は、築けたそのことで良しとしていったん終わりってことです。

ことしも12月にJAAPの写真展があります。そこにいる一枚の自分は、どんなふうに写るでしょうか。
もう一台のカメラが常に自分を見つめピントを合わせ続けているように感じます。

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2016/10/22 ひたち海浜公園にて コキアを写す

# by qchan1531 | 2016-10-26 07:13 | Comments(2)